洛水の女神に残る悲恋
ずっと前のこと。二つのとなりの部族が、ひとりの美しい女性をめぐって何年も争いを続けたという。彼女の名は宓妃。伏羲の娘に生まれ、洛水辺りの部族の長・洛伯の妻となった人で、洛水のほとりに暮らす人々はその美しさに希望を見出し、洛伯の部族にも大きな栄光が満ちたという。だがこの縁こそが、やがて争いを生むはじまりになった。
実際、二つの部族はもともと折り合いが悪く、幾世代にもわたる憎しみを抱えていた。隣の部族の長は兵を興し、あの美しい人をわがものにしようと企む。洛伯もまた避けられぬ戦いに備え、ひたすら軍を整えた。開戦の前、洛伯の部族では占いで吉凶を分けたという。そこに昆吾と名乗る卜占の能手が招かれ、その占いはズバリ言い当てると評判だった。昆吾は洛伯に、この戦いは勝者のいない戦になると告げる。
昆吾は亀甲と筮草を取り出すと、古来の作法どおりに慎重に卜った。燃え割れた亀甲には激しい争いの兆しが走り、不吉を告げる卦が現れる。昆吾は重ねて言った。勝者の定まらぬ戦です、と。しかし隣部の長は退くことを決意し、軍勢は洛伯の陣営へ進み始める。洛伯は戦うほかなく、城塞は次々と破られて陣営は敗北。洛伯とその一門はついに洛水のほとりまで追い詰められた。
勝った隣部の長は使者を遣わし、最後の最後通告を突きつける。宓妃を差し出せ。さもなくば一族ことごとく滅ぼす、と。洛伯は答えた。むしろもろとも死にたい。愛しい人に辱めは受けさせぬ。ところが宓妃みずからが頑なな洛伯を説き伏せ、使者に告げて、花々を載せた船で迎える旨を伝えさせた。知らせを受けた長は上機嫌で、飾り船を艫を連ねて迎えの備えとする。迎える声の中、宓妃は花の船に乗り上げた。その人が誇りを胸に、荒れ狂う洛水へ身を投げたのはこのときだった。姫が死をもって節を守った知らせは伏羲に届き、伏羲は激怒して軍を送り、隣部を打ち滅ぼした。宓妃は洛水の神になったと人々は語り、代々その名をたたえた。やがて川辺の土から、人々の悲しみを養分に、明るく紅い花がいくつも咲き出したという。
洛水のほとりに咲き並ぶその花に、人々はやがて洛神花の愛らしい呼び名をつけた。これが洛神花の名が立った由緒で、後に「洛神賦」と詠まれた洛神のイメージにも通じると伝えられる。

花の色を語る言い伝え
洛神花のあのかんばかな紅色は、洛神が残した血と涙が変わったものだと語られる。開くたびに紅は川のようにたゆたい、水いろを明るく磨き、青空まで染め上げる。細く真っ赤な花弁は、風を起こして燃え上がる炎の群れのように、九万里的な青空へ一直線に駆け上がる。小さく少し細まった芽は、人の目に浮かんだ涙のひとしずくのように明るく透きとおって、見る者の心の底へ落ちていく。意味と悲しみが同居し、頑なでしとやかな裏地、墨を溶かしたような花枝、木陰に実る果実は、美しい心のいちばん痛い血から変わったものにちがうない、と人は見立てた。
